「わからない」の先にあるもの

わたしは日々織っています。

織った布はどうしてるの?
とよく聞かれますが、
何かに形を変えることもあれば、
そのまま使うことも。

ただ、
織り始めるときに、
それをどうするのか、決めているわけではありません。
 

たくさん織っていると、
自分が織りやすいサイズというのがわかってきます。

なんというか、
無心になりやすい、
スムーズに織れる幅だったり、
集中が続く長さだったり。

それがわかっているので、
大抵、そのサイズでタテ糸を準備します。
 

そこまでやったら、
あとはひたすら、無心に織る。

その世界に入り込んで、
自分に集中するのです。
 

その時点でわかっているのは、
布のサイズだけ。

自分がどんな糸を選んで、
どんなタイミングで取り替えて、
どんな目のつまり具合に織っていくのか、
わからない。

織りながら、
「どうする?」「どうしたい?」と
自分に問いかけていく。

その問いかけに、
自分の内側が答える。

それも、直感的に。
 

織りながら、
自分の選択の結果がどうなるのかわからないから、
純粋にワクワクするんです。
へー、こうなっていくんだ!って。

織り上げると、
へー、わたし、こんなの織ったんだ!!って、
我が事ながら、
驚いたり、可笑しかったり。

その布がたまらなく愛おしくて、
わたし、天才じゃん!って感激したり。
 

あら、
こう書くと、完全、
自己完結、自己満足の世界。笑

いや、
それでいいんです。
そういうもんなんです。
 

で、織り上げた側から、
あー、すっきり♪
次はどんなの織ろっかな♪
となるんです。

でも、
またわからないまま織るから、
ワクワクして、驚いて、感激して…

ああ、エンドレス♪
 

そうやって織りあがった布ってね、
本当にその人そのものなんですよ。

わたしが織り上げた布は、
「あー、エイコさんだわぁ」って言われるし、
メンバーさんたちが織り上げた布は、
「あー、らしいね♡」って。

だから、
「わからない」の先には、自分がわかるってことがあるんです。
 

さをり織りセラピーの目的は、ただ織ること。

どんな布を織るのかは決めません。

どんな布になるのかわからないまま、
ただ織ることに集中して、
織ることを楽しむ。

織り上げた布で何を創るのかは、
その後の話。

それでも、
みんな、とっても素敵な作品になっているもの。

いや、だからこそ、
素敵な作品になる。

わたしは、そう思います。

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