シルクのおはなし②

糸マニアのアマナエイコが綴る、
糸のおはなしシリーズ、その9。

その1 繊維のおはなし
その2 繊維の分類のおはなし
その3 人類と繊維のおはなし
その4 麻のおはなし
その5コットンのおはなし
その6 ウールのおはなし
その7カシミヤのおはなし
その8シルクのおはなし①
 

前回、ずっと抑えていたマニアック魂に火がついて、
「家蚕」「野蚕」の違いだけで終わってしまった、
シルクのおはなし①。

今回は、家蚕をもう少し掘り下げて、
養蚕について書いてみようと思います。

ひょっとしたら、
子どもの頃に、
理科の授業で蚕を育てたよーって方もいらっしゃるかもしれませんね。
 

養蚕の歴史は長く、
今から4,000年前の殷の時代には、
すでにその記録があるそうです。

養蚕技術が発達し、織物が盛んに作られるようになると、
みなさんご存知、シルクロードを通じて、
中国からヨーロッパへと広まり、
当時、シルクは非常に高価で、貴重なものとして珍重されました。

そうなると、
我々も養蚕をして、じゃんじゃん絹織物を作ろうじゃないか!ってなるのですが、
中国は賢かった。

その方法は国の管理のもと、門外不出として、
長い間、中国の専売特許。

そうやって、国力を高めていったのでした。
 

でもまあ、
いつの時代でも、
秘密を守れない輩はいます。

長い年月の間、
こっそり蚕の卵や養蚕技術が持ち出され、
世界中に広まっていくことに。
 

日本に伝わった時期は、結構曖昧です。

遺跡の中から、絹織物が発見されたり、
中国の文献に、邪馬台国で養蚕をしていたという記録も残っているので、
おそらく弥生時代あたりに伝わってきたのだろうとも言われていますし、
シルクロードが栄えた時代に、
朝鮮半島から帰化した人物が蚕の卵を持ってきたとも。

養蚕の技術は知ったものの、
日本では、蚕の生育条件が合わなかったり、
まだまだ生産量が少なかったり。

明治に入り、
絹織物は日本の数少ない輸入品として貴重な資源として、
その原料となるシルク糸をどんどん生産しようと、
国を挙げて、
養蚕技術や品種改良に本格的に取り組むようになりました。

世界遺産で有名になった、富岡製糸工場が作られたのも、
その一環ですね。
 

養蚕農家の働きは、
日本の近代化を支えたと言っても過言ではないのですが、
実は、かなり過酷な仕事。

蚕はとてもデリケートな生き物なので、
温度管理は大変だし、
エサとなる新鮮な桑の葉が必要で、
桑は育てなきゃいけない、
1日何度もエサを与えなきゃいけない、
とにかく、朝から晩まで大忙し。
 
今は、人工飼料もあったりするけど、
当時は相当大変だったと想像に容易いです。
 

お蚕さまは、
非休眠卵の場合、
産卵から一週間くらいでふ化します。

1齢幼虫は毛が生えていて、
黒い毛虫みたいです。
ちょうどいい写真が見当たらなかったので、割愛
虫が苦手な人には、その方が良いかも

その後、5齢幼虫になると、
桑の葉を食べるのをやめて、
口から糸を吐きながら、繭を作り始めます。

その時、
蔟(まぶし)という専用の箱に入れるのですが、
まるで、団地のように、みっちり繭が並ぶので、
その光景を見るだけでも楽しいです。

写真はお借りしました

3日くらいかけて繭を完成させたお蚕さまは、
約5日後、
繭の中で、脱皮して蛹になります。

そのまま成長を見届けるのであれば、
繭を作ってから2週間くらいで、
成虫となったお蚕さまとご対面できます。
 

が、養蚕の目的は、糸を取ること。

蛹になったタイミングで、
グツグツ煮立ったお湯の中に、繭を投入!

表面にあるセシリンというタンパク質を溶かし、
糸を引き出します。
 

人間のエゴを感じずにはいられない方法ではありますが、
こうして、
一個の繭から取れる糸の長さは約1,500m。

着物を作るには、約一万個の繭が必要です。

着物好きなわたしは、
正絹の着物を着るたびに、
お蚕さまたちに感謝するのです。
 

あー、
今回もすっかり長くなってしまいました。

もちろん、すでに書いてきた素材も、
糸にするための技術はあるので、
2周目あたりに書きましょうか。

次回は何を書こうかな〜と、
ウキウキそわそわしています♪

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です